わたしで生きる

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今月の腹魂セッション

毎月セッション受けてるけど「セッション」って名前が(私の中で)なんかしっくりこないかも。別にそこまで気にする必要ないし、そんな事どーでもいいんやけど。笑

 

それにしても、毎回、ドキドキするな~。

で。

いつも色んな事思ったり感じたり沢山していて、iPhoneのメモ機能に書き込んだり、Facebookに書いたりブログ書いたり、紙にメモしたりしてるんやけど、それでも日々、心境とか色々、少しずつ変わるもんなー。

どうしたもんかなぁって思う。笑

 

今回のセッション、最後の30分くらいでどんよりモヤモヤ凹み~で終わった。笑

まぁ、それはそれとして。

 

■分からせる

■教える

■認めさす

を、やる必要がない

って部分がこれまでより腑に落ちたかも。

 

それはこれまでも聞いてきて知ってたし、一応そのつもりやったけど、でもそれでも
そこにエネルギー使ってた自覚もあって。

だから、そこにエネルギー使う必要なくて、私の役割が【やってみせる人】で、【教える人】ではないって事を許した?感じ。

 

そうする(そうなる)為に何かをしようとするとか

そんなんは必要ないってこと。

そこじゃなくて、気分、気持ち

(これは今日のおなかの学校でも扱われたテーマ)

 

 

 

1月から腹魂・演劇サークルやってて

(1月の写真)

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(2月は行けなくて今月の写真)

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楽しそうでしょ。笑

演じきれないもどかしさというか、表現力の無さとか、引っ込み思案ないたたまれなさとかも出てくるし、そういう時は1人取り残された感も満載でたじろぐ。

でも、それも含めて刺激的で、なんか充実する。

 

満島ひかりさんとか好きで。なんか、体張って、芝居にそれだけ打ち込めるって

「え、どんな心境なんやろ」って思う。

その役とかその演目?について一定期間集中して過ごしたり、本気でその役そのものになるのって面白そう。

 

私はバレーボールばっかりしてきたし(そういう意味では12年間、バレーボールには打ち込んでたけど)

サークル活動を経験してないから、だから今やってるのかなー?

軽音楽部とか、吹奏楽とか、放送部とか、美術部とか、演劇部とか

やってみたかったし。でも、当時は選べなかった。

 

バレーボールでは、瞬発的な動きを、

元々持ってる運動神経と身体能力+練習量、努力でやってきた。

 

筋肉、神経、思考、習慣、クセ、慣れ、

長年使ってきたものがあるんやから、

違う部分を開発したり活用しようとするにはリハビリが必要なのは当たり前。

リハビリってのはネガティブなものじゃなくて可能性。

 

 

芝居にしても歌にしても、英語にしても

やっぱり口を使うのは面白い。

だからそれらをこれからやっていくってのがセッションでは出たけど、今日のおなかの学校で、また違うのも出たね。笑

 

早速ちょこっとやってきたけど

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雨降っきたので帰宅☆