私の技「ピピっ」の一例をシェアしたいと思います!
久々に、ブログを使って発信٩(ˊᗜˋ*)و♪
今後、こちらでの発信していきたいなー
ってのはこの頃思ってたんです。
「書きたい時に書きたいように」
は、相変わらずやけど
なんか更に、私的に「うふふ♡(。>ω<。)」の、いい感じの何かをお届け出来そうで、それもまた私が楽しみです😊
で、私のシェア。
長くなってしまったけど、
「なになに?」とか
「どれどれ」とか思ったら読んでみてー☆
私が結構やってる技として、
「あ。これいいやーん」
と、
ピピっと来た文章をストックするというのがあります。
なんの話や。笑
ブログのリンクだったり
Facebookなら投稿(文章)をコピーだったり。
それを、保存したり
メモ機能に移したり
そんな事を小賢しくしています。笑🤣
多分、それが人によっては
宝地図?
(なんか、よー知らんけど書き出すんか?あれ。写真やっけ?よく知らない)
だったり
ドリームマップとか?
(こっちが写真や雑誌?)
はたまた、
ポストイットとかで貼り付けて~とか
手帳使う人もいたりとか
なんか、人は色々な好きなやり方でやってると思うけど
私の場合、手っ取り早く
誰に言われるでもなくやってるのは
コピペかな~と。
「ピピっ」と反応するねん。
(その、反応の原点のような話も重要やったりするけど、ここでは省きたいので省きます!)
で、
更に私の特徴として
【(多分、他の人よりも!)すぐに意識が上にいく】
っていう個性を持っていて。
それを言葉にするとしたら~
「ピピっ」のすぐ後に
「あ!そんなん私には無理やった」
→😨
とか
「あー、ダメダメ!そんなものにかまけてる場合じゃない」
→😤
とか
「ほらね、そうそう。かまけてる場合ちゃうねん。よそ見すな。今見てみぃや。そんなおとぎ話のような都合のいい話はないねんで」
→🤐
そうして、あっいう間に
それが本気でホンマに
さっきの「ピピっ」と来た時点とは違う地点へ。
時間的にはほんまに数秒やのに
数秒の間に距離は大きく離れてる。
「ピピっ」の地点と
最終地点
これ、ほんまに同じ人???!
ってくらいに。
もう、私の場合はこうなってしまえば
さっきの
「ピピっ」の、
あの、開けた感覚に戻るというのはとても大変🤣
あ?
でもねーーー
それが、そこまで大変じゃなくなったんや。
話が行ったり来たり。笑
多分、
例えば15年前は
「ピピっ」っていう、それすら、感じられなかった。
というか、
15年前はまだ必要なかった って感じかも。
(プロセスとして?)
当時私は、バレーボールしてたから
(19歳とか20歳とか)
そうやな~
そんな感じで、「ピピっ」のキャッチがさほど必要ない期間がずーっとあって
そしてどこかのタイミングで、
これも感覚的な話、抽象的な話やけど、
はたと気づいたというか
何かがおかいしと感じて
色々求めた。
そして、何となく
これまでの私では受け取らなかった情報を受け取って。
それが、今でいう
「ピピっ」やねんけど、
その、情報を受け取り始めた5年前とかは
まだまだ今よりも
「ピピっ」を、
勘違いとして扱う私でした。
んーーー、
感覚やねんけど、
5年前の私がいた、その生活圏。
その当の私にとっては、その現実がリアル。
(普通、そうですわな~)
「リアルが現実としてあります。」
「ここが私の場所で、これが私です」
という立ち位置だった。
その立ち位置の私が
その立ち位置でも
「ピピっ」を受け取ってはいたんやけど、
まー、私という人間は
この人生で、たいして仕事ってしてきてないはず。
やけど。
にも関わらず
「ピピっ」を、
「まぁ、いつかね。その気になればね。私には私の生活あるし」
みたいな感覚やった。
なんか、淡々と書くと面白い🤣笑
なんやけど、それでも多分、
(今思えばの話ですよ~)
潜在的に【本当】を知っていたのかなーと。
言葉にすると
【その予定だった】
とかになるのかな?
私の感覚を表現するとこうなるって話ですが。
何が言いたいかというと、
最初に書いた
「ピピっ」と、
その後の最終地点の話やけど
今は、
いやー、今も、最終地点までドーーーーンと行ったりするんです。笑
けど、
割とすぐに戻れる (ピピっ くらいの場所に)
もしくは、
ドーーーーンに行った時に私が受けてる体感が前とは違う
そんな感じ!!
そんな感覚になったのは
ここ最近が特にそうやし、
ここ数ヶ月で徐々にそんな感覚に。
だからつまり、
それ以前
去年とかは、
ドーーーーン(ドヨーン・・ ∥;|||( ´・ω・)||;|||)とした時、
「ピピっ」の時の開けた感覚に戻るのにもっと時間かかったし、
更に二年前とかは・・・・
(笑)
暴露。
「ピピっ」はありながらも
その「ピピっ」の感覚そっちのけで
ドーーーーン
ずどーーーーん
わーーぎゃーーー
って溺れてました(笑)
ホンマにそんな感じ。
で、今。
(あ、人のやつコピペして保存するんです~の話に戻ります!)
「ピピっ」
「あ、これいい」
「もーらいっ!」
ってなって、粛々とやってる時に
やっぱり、意識が上にあがりそうにはなるし
とにかく、色々
頭の中に声がきこえたり
身体でも、緊張とかの感覚や
身体のテンションが下がるような感覚を感じます。
で、私はそうなった時って何をやってるかなー?
と振り返ると
「ピピっ」を集めてるのをやめる必要ないし
そのまま気が済むまで続けてるなー。
身体のどこかが重くなったり
苦しくなったり
ザワザワしてるのを感じつつ。
で、「ピピっ」を保存するのが終われば
「よし、完了☆」
みたいな感じ。
「ピピっ」は
私が素敵と感じる感覚集めみたいなもので。
素敵と感じるし、好きなわけで。
多分、前までなら
「ピピっ」のその対象は
私なんかより程遠いものに感じてギャップに苦しんだり
苦しみながらも
「そうなろう」として
なーんか知らんけど
その為に何かやらないといけない気がして
「何をしたらいいんやろう」とか←例えばね。
常に、張り巡らせてた。
この、
文章などを保存する話は一つの例です☆
ヒッチハイクの時
宿探しの時
路上でのパフォーマンスの時
どのシチュエーションでも、
とにかく私は
1人で居ても、
私以外の人が例え1人でも居たとしても
どっちでも、
どちらにしても
ふっと意識が上にいって
なんだか自分がごちゃごちゃなります。笑
ここに発信した事は、あくまでも私の感じ方のシェア。
しかも、「日本一周」とか「どこどこ観光したい」とか「ご当地食べたい」とか「自分探しの旅」とか「休みを取って旅行で」とか、
ほとんどの人がそういう目的意識?で
ヒッチハイクする人はそういう人やのに
(実際、乗せてもらった車の人と話したり、ヒッチハイカーと出会ったり、元ヒッチハイカーの人と接して話たら、実際に私の出会ったみんなは、なんらかの目的意識でヒッチハイクしてはる人やった)
ヒッチハイク、宿探し含めて
年齢、性別、職業、生い立ち、興味のあるもの、休日の取り方、ものの考え方
全然違う人達。
ぜーんぜん、みんな私より立派な皆さんで。
ほんま、それこそ意識が上にあがって
あれーーーーーーーー!!って、
どこか奈落の底に落ちるような感覚とか
閉ざされた感覚とか
居心地の悪いザワザワした感覚とか
浮き足立った感覚とか
飲み込まれて非力さ感じたりとか
逆に(感覚的に)、
相手より優位にたったりとか
この、目に見えない部分での
意識?の動きが面白いなーと🤣
「よくもそこまで、慌ただしく飽きることなく、、、ほんま、お疲れさん!」
って、自分で言いたくなるし言ってる。笑
「ありがとうー」とも言ってる。
言葉として、
「人は人、自分は自分」とか
「みんな違ってみんないい」とか
あるにはあるけど
その教訓?自体には
「そー!そーー!」
とは、なれない私。😅
多分感覚的にはそんな事は分かりきっていて。
多分、その上で
「で?だからどーすんねん?」
って感覚がある。
いちいち、
個性を確認する必要も
他人を賞賛する必要もなくて
やりたいと思ったことを素直にやればいいみたい(⌒_⌒)