わたしで生きる

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アメブロから過去記事を移行中(2016.02.27)だって、人間だもの。リアル世界とファンタジー世界

今、ちょっと試験的に~
アメブロから過去記事を移動させようとしてます。

コピペです。

まだ1年も経ってないのに
日々自分が変化してるので
自分で書いてるのに
「え?これお前?(私?)」
みたいなのがめっちゃ多いですが・・・


まぁ、それも面白いのでよしとします!

以外、コピペ▼

 

 


人間だから、色々思うし色々感じる。

だって人間だもの。(一応。)


思うことや感じる事を、
後にあえて「介入」って言葉で表現をしてみたいと思う。


*
わたしたち人間のリアル世界と、
漫画やジブリとかアニメ映画の世界とを
あえて比較してみる。
(って事をたまにふとしたくなる)


まず、前提?として、
既にそれ(漫画や映画)を自分が見てるという事は、きっとそれ(漫画や映画)は完成されてる。


紙や、DVDディスク?や画面での放送というカタチで完成されたものを
自分が見て

物語を

悲しんだり
喜んだり
微笑ましく思ったり
勇気をもらった気になったり

主人公か、はたまた別の登場人物と同化して共感して楽しむ。

娯楽として使うか、
はたまた、よもや自分の人生のバイブル級のものになるかは
人それぞれ。


それを見てる自分は、
それが「完成されたもの」として受け入れてる。

「受け入る」なんてことをわざわざしてる意識もなく、疑わずにそれを利用する。


完成されたものだし
誰々さんという監督が監修?制作?したものだし
ストーリーを変えようとか、
「いやいや、主人公はやっぱこっちにしよう」とかはない。

内心では、ケチつけたり評価したりしたとしても、実際には、変えようがない。


こういう境遇の主人公がいて
こんな夢を描いた主人公がいて
何かの形で外へ飛び出し
旅の途中で師匠のような存在や、邪魔するもの、良きライバルと出会い
遠く離れた家族を思いつつも旅はやめれない。
最大の宿敵と対面して、
「こんなやり方はしたくないんだ。君も分かってるだろう?」
と語りかけるも、聞く耳を持たずに攻撃の手を緩めない相手に対して、自分や自分の大切なものを守る為に何かのカタチで終止符を打つ。


みたいなのが、決まってる。

なんていうか、
主人公は主人公を、
敵は敵を、
他のキャストもそれぞれの持ち場をやる。


そこでは、
わざわざ一人一人をクローズアップしない。
わざわざ全部の心の声や思考の声をクローズアップしない。

わざわざ全部の声を介入させない。

たった3時間程の中に起承転結を押し込めるから仕方がない面もあるけど、(笑)

作る方もそうならば、
見る方もそう


わざわざ介入させない。


介入してない世界を見てる。

そう考えると?
(捉えると?見ると?)

漫画や映画は洗脳だ。笑
ほんと、いいファンタジーだ。笑

 

漫画や映像の次元の者達からすれば、
わたしたち人間の次元は

もしかしたら羨ましいのかもしれない。
(知らんけど)

わたしたち人間の次元からしたら、
もっと上の(別の)次元を羨ましいと思ったりもする。

そんなわたしたちの事を、
わたしたちが羨ましがってる次元の存在は羨ましがっている。


羨ましがってるというか、
羨ましがってるわたしたちに感謝してるし、
どんどん羨ましがってくれてもいいし
羨ましがられる人になってくれてもいいし

どちらのあなたでも感謝してるよ
と言ってる。


「ない」って事は「ある」んだよ。
だから、
ないままであるんだよ。